同じ朗読から生まれた三本の映画。
その前2作と、原点となる作品を一挙上映する5日間のミニ特集。
映画が音楽と出会ったのはいつのことだろう? 映画は初め、声を持たなかった。しかし、彼は聞いていたはずだ。彼を見ながら、奏でる響きを。「音から作る映画」シリーズ第一弾『映画としての音楽』のインターナショナル版。英語と日本語がくんずほぐれつ映像と音響の両面から絡まり合い、19世紀末にパリで生まれた映画と詩劇「サロメ」の奇妙な連関を語る。
監督 | 七里圭 |
出演 | さとうじゅんこ/Cal Lyall James Hadfield/Miya/徳久ウィリアム/sei/山形育弘/長宗我部陽子/飴屋法水 |
作品データ | 2016年/日本/56分/HD |
2010年国立近代美術館における建築家 鈴木了二のインスタレーション「物質試行51:DUBHOUSE」の記録映画。建築が生み出す闇を捉えるという当初の意図は、翌年3月11日の出来事により決定的な変化を被る。七里は、展示作品を撮影した光の部分と同じ時間の闇を冒頭に置き、その中に、鈴木が描いた被災地のドローイングを沈ませた。映画館は、闇を内在した建築である。その闇から浮かび上がろうとする映画は、映画館に放たれる光であると同時に、祈りであるかもしれない。これは、極北のメタ映画であり、歴史的出来事への応答であるもある。
監督 | 七里圭 |
作品データ | 2012年/日本/16分/35mm |
その娘は母について話し続ける。言葉は踊りとなり、物語が始まる。食卓に謎めいた書置きが残されている。「ちょっと山へ行ってきます」。そう書いたのは、あの頃の母か、今のわたしか。燃える草原、雪原を跳ねる馬、馬、馬。強烈なイメージとダンスが連なる。「音から作る映画」シリーズ第二弾にして、最も狂暴な作品。
監督 | 七里圭 |
出演 | 黒田育世/長宗我部陽子/工藤美岬/飴屋法水 |
声の出演 | 青柳いづみ/原マスミ/sei/さとうじゅんこ |
作品データ | 2016年/日本/68分/HD |
シリーズの起点となる「1.0」では、映画の持つ「失われゆくものへのまなざし」という性格を転倒し、製造中止となったFUJIシングル8で撮影することで「失われゆくものからのまなざし」を試みた。繁栄する都市商業施設のエスカレーターはフラットな地獄と化し、死を宣告されたものが輝かしさのなかに回帰する。これは時間の無化と、生と死の境界の廃棄とともに愛と憎悪が転回する、インダストリアル・パンクなレクイエムなのだ。
監督 | 七里圭 |
出演 | 古賀彰吾 |
人形 | 清水真理 |
作品データ | 2014年/日本/3分/HD |
監督 | 七里圭 |
作品データ | 2018年/日本/10分/HD |
あの夜、母は幼いわたしを連れて山に登った。わたしは「母」を巡る記憶の旅に出る。前作と同じテクスト、同じ朗読を用いた2本目の映画。母と娘と不在の父親の関係に焦点があてられる。しかし、母とは、娘とは、父とは誰なのか。その自己同一性は、重層化する映像と音響のはざまで揺らぎ続ける。影絵で示される家族の喪失。不思議なトークを取り交わす謎の集団「ワンゲル」。これは、踊りながら孤児たちが見た夢なのかもしれない。
監督 | 七里圭 |
出演 | 長宗我部陽子/黒田育世/飴屋法水/山形育弘/黒川幸則/岡啓輔/ 手塚真生/菊地敦子/田中真琴 |
声の出演 | 青柳いづみ/原マスミ/sei/さとうじゅんこ/太田真紀 |
作品データ | 2017年/日本/82分/HD |
上映期間 | 3/11(日)~3/15(木) |
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上映時間 | 21:10 |
当日料金 | 一般・大・高:1,500円/シニア:1,000円 |
備考 | ★リピーター割引(『あなたはわたしじゃない』or 特集『音から作る映画』半券提示):1,000円 |